五輪の呪い「首相退陣」、菅首相はジンクス打ち破れるか
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永田町に伝わるジンクスが、にわかに注目を集めている。
新型コロナ禍で異例の無観客開催となった東京五輪は8日、幕を閉じた。大会関係者の辞任ドミノも続き、もやもやしたまま開幕を迎えたが、選手たちの活躍はそれを吹き飛ばしたようだ。読売新聞の全国世論調査(7~9日)では、東京五輪が開催されてよかったと「思う」が64%に上り、「思わない」の28%を大きく上回った。
日本で五輪が開催されたのは、夏と冬を合わせて今回で4回目だ。実は過去3回、五輪が開催された年に首相が交代しており、永田町では「五輪の呪い」とも言われている。
初めて日本で五輪が行われた1964年10月の東京大会。高度経済成長のまっただ中で、日本の戦後復興を世界に印象付けた。当時の首相は、「所得倍増計画」を掲げた池田勇人氏だ。この頃、池田氏は病魔に襲われ、開会式の1か月前に入院。当初、本人に病状は知らされなかったが、がんだった。開会式には病院から駆けつけ、閉会式翌日の10月25日に辞任を表明した。
72年2月の札幌大会(冬季)。この時は佐藤栄作氏が退陣した。7年8か月の長期政権を築いたが、国民には「飽き」が広がっており、沖縄返還を花道に退いた。98年2月の長野大会(冬季)の年には、橋本竜太郎氏が首相の座を降りた。前年に踏み切った消費税率3%から5%への引き上げは、「景気後退を招いた」と批判され、98年7月の参院選で大敗。辞任に追い込まれた。
昨年は、1年延期により幻の東京大会となったが、安倍晋三氏が持病の再発を理由に史上最長政権に幕を閉じている。それぞれ事情は異なるものの、世界的なイベントである五輪は、政治にとっても節目になりがちだ。
今回はどうか。菅義偉首相の自民党総裁任期は9月末まで。新型コロナウイルスへの対応で批判を浴び、政権運営は苦戦を強いられている。それでも、有力な「ポスト菅」の不在で再選は既定路線とされ、党内では「ジンクスは途切れる」と目されてきた。
ところが、ここに来て雲行きが怪しくなってきた。五輪後の世論調査で、内閣支持率は35%と発足以来の最低を記録。「五輪が追い風になる」ともくろんでいた首相周辺は肩を落とした。ある閣僚は「五輪がなかったらもっと下がっていた」と声をひそめる。
7月の東京都議選を含め、就任以来、主要選挙で連敗続きの菅首相に、選挙基盤の弱い若手・中堅議員は「選挙の顔にならない」と不安を募らせる。党内では「衆院選前に総裁選を実施すべきだ」という声が、じわじわと広がり始めている。総裁選を複数候補で争って国民の注目を集めた上で、衆院選になだれ込みたいというわけだ。
一方、二階俊博幹事長ら執行部は、菅氏の総裁選「無投票再選」をもくろむ。二階氏は3日の記者会見で、「今のところ、複数の候補になり得るかどうか見通しはない。現職が再選される可能性が極めて強い状況であることは、誰もが承知の通りだ」と若手らをけん制した。
総裁選を複数候補で争うことになれば、何が起こるか分からない。2001年総裁選では小泉純一郎氏が地方票で9割近く集め、本命の橋本竜太郎氏を破る大波乱が起きた。22日には菅氏の地元・横浜で市長選が行われる。全面支援する小此木八郎・前国家公安委員長が敗れれば、菅氏への逆風が強まるのは必至だ。新型コロナの感染拡大も、収まる気配はない。
「五輪の呪い」を解けるか。菅氏は正念場を迎えている。