ねらい

太平洋戦争の末期。子どもたちも疎開先で苦労をしながら生活をしていたことを知る。

内容

太平洋戦争の末期、1944年、昭和19年。子どもたちは空襲の少ない地方へ小学校ごとに集団でうつりました。学童疎開です。子どもたちの何よりの楽しみは、食事でした。疎開先では、学習が遅れないよう、にわか教室もありました。疎開に行ったのは、国民学校初等科とよばれた、小学校3年生から6年生の児童でしたが、翌年からは小学生全員が疎開することになりました。遊びの時間もあります。疎開先では、いつも、上級生が下級生の面倒を見て、力を合わせて生活していました。親元を離れた子どもたちは、身の回りを世話してくれる寮母や、先生と一緒に、戦争が終わるまでの1年あまりを共に生活しました。

疎開先での生活
戦時中、子どもたちは学童疎開などで苦労をしながら生活していました。