“迷惑客”への宿泊拒否が可能に 歓迎と不安 それぞれの思い

“迷惑客”への宿泊拒否が可能に 歓迎と不安 それぞれの思い
「OMOTENASHI(おもてなし)」

客を第一に考えて接する日本のホスピタリティーを表すことばとして、世界に広く認知されるようになりました。

しかし、日本独自の「おもてなし文化」は、いま転換期を迎えていると言えるかもしれません。背景にあるのは、悪質な“カスハラ”=カスタマーハラスメントの広がりです。一部の迷惑客に旅館やホテルが苦しんでいます。

12月から施行される改正旅館業法では、こうした客の宿泊拒否が可能になります。一方で不安を感じている人も…。それぞれの思いを取材しました。

(社会部 勝又千重子・市毛裕史)

口コミ「4.62」“おもてなし”が評判の旅館

栃木県日光市のとある旅館。ここではすべての客室から、中禅寺湖の美しい眺めを楽しむことができます。
さらに、「源泉掛け流し」の温泉に、地元の食材をふんだんに使った料理。1人1泊1~2万円台という手頃な価格設定もあり、ある旅行サイトの5点満点の「口コミ」では、「4.62」と高い評価を得ています。(10月6日現在)

この旅館が何より力を入れているのが、「おもてなし」です。口コミに書きこまれた意見や感想を分析し、「お客様第一」の接客に生かしています。
宿泊客
「日光東照宮へのお参りを兼ねて、必ず泊まっています。今回で3回目です。従業員がいつも笑顔で、“おもてなし”が最高で落ち着けます」
しかし、高評価の裏で、一部の客の思わぬ要求に旅館は苦しんでいました。

「伊勢えびが食べたかった」

ことし宿泊したある夫婦の話です。予約したのは、栃木県産のブランド豚がメインの夕食がついたプランでした。

旅館によりますと、食後、夫が他の客もいる前でスタッフの腕をつかみ、大声でこう言ったといいます。

「伊勢えびが食べたかった!」
社長の神尾和彦さんが対応にあたり、客が予約したサイトには食事の内容や写真を掲載していたことを丁寧に説明しました。

そして、提供した豚は地元のブランド豚を2日間かけて仕込んだものであることなどを伝えたうえで、期待に応えられなかったとおわびしたといいます。

ですが、夫は納得せず「口コミに書くぞ」と言ったといいます。その後もおよそ1時間にわたって、クレームが続いたということです。
神尾和彦社長
「経営の問題というより、従業員の頑張りがお客様に伝わらず、すごく残念に思いました。精一杯のことをしてお出迎えしても、心ない口コミを書かれることもあります。新たなお客様がそれを見て、施設に先入観を持つかもしれないということは脅威に感じます」

クレームでスタッフが退職したことも

神尾さんはかつてつらい経験をしたことがあります。ミスをしてしまったスタッフが、客に謝罪をしたにも関わらず、サイトの口コミに名指しでクレームを書き込まれたのです。

ショックを受けたそのスタッフは退職しました。神尾さんはそれ以来、スタッフの名札の着用をやめました。
ほかにも、食事をとり宿泊もした後に「サービスが気に入らない」と宿泊代の全額返金を求める客もいるといい、旅館の経営に直結する問題になっていました。

それでも旅館では、そうした客の宿泊を拒否することができませんでした。
神尾和彦社長
「すぐに帰ってくださいと言うわけにもいかない。法律で原則、宿泊を断ることができない。断ったら、法律違反になるかもしれないですから」

“宿泊を拒んではならない”

社長の言う法律が「旅館業法」です。戦後の混乱期、1948年に施行されました。

その第5条で、営業者は次のいずれかに該当する場合を除いては、「宿泊を拒んではならない」とされています。
1、宿泊しようとする者が伝染性の疾病にかかつていると明らかに認められるとき。
2、宿泊しようとする者がとばく、その他の違法行為または風紀を乱す行為をする虞があると認められるとき。
3、宿泊施設に余裕がないときその他都道府県が条例で定める事由があるとき。
つまり、一部の例外を除き、宿泊を拒んではいけないとされてきました。

当時、各地で戦後復興が進められていました。ですが、社会情勢は安定しているとは言えず、法律制定の背景には「宿泊を拒否された人の行き倒れを防ぐ」などの目的があったとされています。

法改正のきっかけは“新型コロナウイルス”

この条文が変わるきっかけは、突然やってきました。新型コロナウイルスの流行です。
宿泊者がマスク着用や検温などの要請に応じないケースが相次ぎ、宿泊業界からは法律に基づいて客に感染対策を求め、それに応じない場合は宿泊拒否を可能にしてほしいという声があがりました。

そして、法改正が検討される中で議論になったのが、各地の宿泊施設が無理な要求をする客のカスタマーハラスメントに悩まされているという現実だったのです。

全国の旅館・ホテルでつくる生活衛生同業組合連合会が行ったアンケートでは、“カスハラ”の実態が明らかになりました。
従業員を長時間にわたって拘束、または従業員に対して威圧的な言動で、苦情の申し出(クレーム)が繰り返し行われたという旅館・ホテルは、全体の41%に上りました。
ことし6月、改正旅館業法が成立しました。これにより
▼エボラ出血熱など、感染症法上の位置づけが1類や2類などの感染症が国内で発生した際に、発熱などの症状がある客に部屋での待機を求めること
▼負担が過重なサービスの提供を要求するカスタマーハラスメントを行う客に対し、宿泊を拒否すること が可能になったのです。

どういう行為が“カスハラ”になるのか?

次に議論になったのが、どういう行為が“カスハラ”にあたるのかということです。日本カスタマーハラスメント対応協会の酒井由香理事は、何が該当するのかを、接客の現場で判断するのは簡単ではないと言います。
酒井由香理事
「その客が来ることで、応対する人が苦しくなったり、眠れなくなってしまうという風に、労働環境が害される状態を引き起こすことをカスタマーハラスメントと呼びますが、大きな声で苦情を言うだけでは『カスタマーハラスメント』にはなりません。応対によっては円満に解決することもあるので、どこまでがクレームでどこからが『カスタマーハラスメント』となるのか難しさがある。具体的な事例を示すことが大事になってくる」

宿泊拒否できる事例 初めてまとまる

そこで厚生労働省は、どのような場合に宿泊を拒否してもいいのか、専門家の検討会で議論を重ね、10月10日、初めて事例をまとめました。次のような行為をそれぞれ繰り返した場合などです。
▼スタッフに対し、宿泊料の不当な割引きや慰謝料の要求、契約にない送迎などほかの宿泊者と比べ過剰なサービスを求める。
▼スタッフに対し、泊まる部屋の上下左右に宿泊客を入れないよう求める。
▼土下座などの社会的相当性を欠く方法で謝罪を求める。
▼泥酔しスタッフに対し、長時間にわたる介抱を求める。
▼対面や電話、メールなどで長時間にわたり不当な要求をする。
宿泊を拒否できる具体的な“カスハラ”の事例が示されたことで、宿泊業界の関係者からは歓迎の声が聞かれました。
神尾和彦社長
「旅館業法の改正でお客様へのリスペクトとともに、宿泊される方も私どもに対してリスペクトを持ってくださるようになれば、スタッフも生き生きと仕事ができるようになると思います。業界で働きたい人が減っている中で、このような“おもてなし”に参加してみたいと思う方が増えてくることを期待しています」

“不当な宿泊拒否につながらないか”懸念の声も

一方で、施設側が宿泊を拒否しやすくなったことで、不安を感じている人もいます。福祉用具の販売会社を経営する細野直久さん(56)です。
16歳の時に交通事故で脊髄を損傷し、車いすで生活しています。車いすテニスのプレーヤーとして活躍しながら、自治体や企業などで障害者への理解を広げる研修を行っていて、多いときで年間50泊ほど各地のホテルを利用しているといいます。
ところがことし3月、鹿児島県のバリアフリールームのあるホテルに宿泊しようとしたところ、スタッフから「介助者がいないと宿泊できません」と言われ、宿泊を拒否されました。

細野さんは車いす生活になってからの40年間、ずっと介助者なしで宿泊してきたため、なぜ宿泊できないのか尋ねましたが、ホテルのスタッフからは「規則があるためです」と伝えられたといいます。
細野直久さん
「そのホテルはバリアフリーで有名なホテルなので、なぜ1人で泊まれないルールができたのかということが疑問でした。びっくりしましたけれど、過去にもタクシーの乗車拒否とか経験していたので、また来たかと」

差別的な宿泊拒否は過去にも

細野さんが経験したような障害を理由にした宿泊拒否は、これまでも障害者団体に報告が寄せられています。

精神障害者の家族で作る団体によりますと、精神障害がある女性がホテルに事前に障害について伝え、チェックインの際に障害者手帳を提示したところ、「安全上の理由」で宿泊させてもらえなかったケースがあったということです。
さらに、知的障害者の家族で作る団体によりますと、ことし6月、生活介護事業所がホテルに予約の電話をした際に「知的障害者の団体です」と伝えたところ、ホテルの職員から「コロナ禍以来、会社としてそういう団体の予約は受けないことになっています」と言われ、宿泊の相談すらできなかったということです。

かつてはハンセン病の元患者に対しても、「元患者であること」を理由に熊本県のホテルで宿泊を拒否される事案が起きています。

宿泊拒否“できない”事例も明示

法律が拡大解釈され、差別的な宿泊拒否が起きないようにするためには、どうすればいいのでしょうか。検討会には旅館やホテルの団体だけではなく、ハンセン病や障害者の団体なども加わって議論が行われました。

そしてまとめられたのが、次のような宿泊を“拒否できない”事例です。
▼障害がある人が宿泊する際に施設側に「合理的な配慮」を求めること
▼医療的な介助が必要な障害者や重度の障害者、車いす利用者などが宿泊を求めること
▼介助者や身体障害者補助犬の同伴を求めること
▼障害を理由とした不当な差別的扱いを受け謝罪を求めること

「合理的配慮」か「過重な負担」か

「介助者がいないから」という理由で宿泊拒否を告げられた細野さん。最終的にホテル側が「特別に宿泊を認めます」と応じ、宿泊することはできました。

後日、細野さんが、ホテルを運営する本部に確認したところ、「過去に宿泊した障害者が、ホテルのスタッフに対し食事や入浴の介助を要望したことがあり、また求められても対応できないと考え、そのホテル独自のルールを設けてしまっていた。誤った対応だった」と謝罪されました。
細野直久さん
「今後、障害者側の要望が『合理的配慮』にあたるのか、それとも『過重な負担』にあたるのかという混乱が必ず起きると思います。障害を理由に宿泊できないとならないために、官公庁は全国で研修を行ってほしいです」

大切なのは「建設的対話」

「宿泊拒否できる事例」と「宿泊拒否できない事例」を盛り込んだ改正旅館業法の指針は、パブリックコメントで広く意見を募ったうえで、ことし12月13日の法律の施行とともに運用が始まります。

実際どうすれば、現場での混乱を少なくできるのでしょうか。障害のある人たちで作る団体、「DPI日本会議」の副議長で、厚生労働省の検討会の構成員も務めた尾上浩二さんがそのヒントを教えてくれました。
「DPI日本会議」の副議長 尾上浩二さん
「改正旅館業法を実際に運用する場面で、利用者側、宿泊施設側の双方が意識すべきことは『建設的対話』です。具体的にどのようなことができるか、できないかというのを、お互いにアイデアを出し合う。実施可能なことを見つけるための対話の積み重ねが、重要だと思います。そのうえで、二度と差別的な宿泊拒否を繰り返さないためにも、今回の議論をきっかけにして、誰もが安心して泊まれるホテルや旅館の体制づくりを進めてほしいです」

“おもてなし文化”がよりよく発展するために

世界に認められる日本の「おもてなし文化」。法律の改正によって、働く人たちが安心して働けるようになり、滞在する人たちへのホスピタリティーがさらに高まれば、よい形で進化していくのではないでしょうか。

そしてそのとき、決して忘れてはいけないのが、不当に排除されている人たちがいないかということだと思います。

法改正の先に、誰もが差別されることなく、サービスを安心して受けられる社会が実現するのか。今後も取材を続けたいと思います。

(10月10日「ニュースウオッチ9」で放送)
社会部記者
勝又千重子
2010年入局
山口局、仙台局を経て、社会部で厚生労働省を担当
難病患者や障害のある人の取材をしています
社会部記者
市毛裕史
2015年入局
釜石支局などを経て現所属
取材を通して、差別的な宿泊拒否を受けた方の多さに衝撃を受けました