2023年9月8日
ウクライナ ロシア

ロシア義勇軍 司令官独白「祖国は狂った」ロシアと戦うわけ

「あなたはジャーナリストか、それとも日本のシュピオン(スパイ)か?」

彼は、私の質問を遮ってそう迫った。彼の名は、デニス・カプースチン氏。

ロシア人としてあえてウクライナ側に立って、軍事侵攻を続けるロシアと戦う「ロシア義勇軍」の司令官だ。

そのカプースチン氏が、ウクライナの首都キーウで私たちの単独インタビューに応じた。

なぜ、彼らは“祖国”ロシアと戦うのか。通訳なしの1時間半におよぶインタビューで迫った。

(ヨーロッパ総局記者 渡辺信)

我々は怖がることをやめたロシア人

ロシア義勇軍司令官 カプースチン氏

「プーチンは恐怖だけで支配している。誰もが彼を恐れている。プーチン反対派も賛成派もどちらもだ。ロシアの人々の『恐れ』が続くかぎり、プーチンは権力の座に居続ける。
しかし、我々は違う。SNSで文句を言うだけでなく、プーチン反対の意志を明確にして、実際に銃を手に取ったのだから。我々ロシア義勇軍は、怖がることをやめたロシア人の集団だ」

カプースチン氏は終始、プーチン大統領に対する強い対抗意識を隠さなかった。

なぜ、彼らはウクライナ側に立ってロシアと戦っているのだろうか。

私は“約束を守る人間”

ことし(2023年)の8月10日ー。

ウクライナ軍の反転攻勢が始まってから、すでに2か月ほどが過ぎていた。

私(筆者)は首都キーウにいた。肌を刺す強い日ざし。湿気を含んだ熱い風がシャツの中を吹き抜けていく。

昼下がりの街を、おしゃれな薄手の服装の女性たちが、かっ歩している。戦時下であることを忘れそうになるくらいの開放感だ。

そんな街の風景をよそ目に、私たち取材班は、指定されたレストランに向かった。店の入り口とは別の扉に案内され、薄暗い階段を上った。ひんやりとした空気が漂う。

通されたのは、豪華な調度品で飾られた部屋。そこがインタビューのための場所だった。

覆面の義勇兵が背後を固める

照明やマイクの準備を終えると、彼が姿を現した。自動小銃で武装した屈強な男たちを従えている。

全員、黒の戦闘服に身を包み、覆面とサングラスで、表情は読み取れない。
その中で、ひとりカプースチン氏だけが、素顔をさらしていた。

握手して挨拶する私に、カプースチン氏は「ヤー・チェラベーク・スローバ」と応じた。直訳すると「私は言葉の人だ」という意味だ。つまり「私は言行一致、約束を守る人間だ」と返してきたのだった。

「ようやく彼に会えた・・・」

土壇場でキャンセル、2か月越しで実現

紆余曲折があって実現したインタビューだった。

最初にやり取りをしたのは5月下旬。知人のベラルーシ人が橋渡しをしてくれた。
そして、6月の初めにインタビューの約束を取り付けたのだ。

ただ、司令官として、戦場に赴くこともあるカプースチン氏。私がふだん働くパリからのオンラインでのインタビューの約束は突然キャンセルされ、一時は連絡すらつかなくなった。

今回、私のウクライナでの取材のタイミングで、ようやくインタビューが実現した。

司令官が明かした“義勇軍”

ロシアの軍事侵攻では、ウクライナ側に立って戦う2つのロシアの義勇兵組織の存在が知られている。
カプースチン氏が率いる「ロシア義勇軍」。そしてもう一つが「自由ロシア軍」だ。

しかし、それらの規模や作戦への関与、ウクライナ軍とどのように連携しているかなど、実態はよくわかっていない。

いったい「ロシア義勇軍」とは、どんな組織なのか。カプースチン氏は語り始めた。

「我々は、動員されたわけでもなく、義務を課されたわけでもなく、武器を取ることを強制されたわけでもない、志願制だ。守りたい、抵抗したい、侵略者や野蛮人、そして、プーチンの仲間たちを追い払いたい、という考えで一致している」

志願者で構成されるロシア義勇軍は、カプースチン氏の友人や知人を中心としたメンバーが集まり、2022年8月22日に結成したという。ロシアの軍事侵攻が始まってから、半年後のタイミングだ。

ロシア義勇軍の戦闘員 ロシアとの国境付近で (2023年5月)

「参加しているメンバーはさまざまだ。詩人や歌手、音楽家、学校の元教師、俳優、職業軍人、ロシアで刑事事件を起こした者もいる。それにモスクワに住む富裕層出身の『黄金の若者たち』と呼ばれる世代もいる。彼らは、すべてを放棄し、戦いに参加することを決めた。なぜなら、それが正しく、論理的で、正しい決断に思えたからだ」

カプースチン氏はある転換点について語った。2014年のロシアによる一方的なクリミアの併合だ。

プーチン大統領と自分が考えるロシア第一主義は全く違う、そう確信を強めたという。

クリミアの中心都市シンフェロポリでロシア国旗が翻る (2014年3月)

構成員の中には、この時、ロシアの暴挙に対する義憤に駆られて、ウクライナの東部ドンバス地域で戦ってきた人たちもいるという。

訓練施設は、首都周辺のキーウ州や東部のドネツク州、それに南部のザポリージャ州にあるとも明かした。

「兵士たちは常に訓練している。これは、とても重要なことだ。私たちの成長の保証であり、プロフェッショナリズムの保証だ。当初は勇気と勇敢さ、ただ恐れずに敵のいる方向に機関銃を向けることだけが重要だった。その後、戦争はより複雑化し、より専門的な知識が必要とされるようになった。 それにともなって、自分たちもプロになると決意した」

ロシアへの越境攻撃、明らかに

ロシア義勇軍は、かねてからウクライナからロシア領内に入る越境攻撃を行っていると主張してきた。

そのことを質問すると、カプースチン氏は「あくまで公式には」と前置きした上で、ことし3月から6月にかけてあわせて4回の越境攻撃を行ったと打ち明けた。

①2023年3月2日・ブリャンスク州、②2023年4月6日・ブリャンスク州、③2023年5月22日・ベロゴロド州、④2023年6月3日・ベロゴロド州への攻撃だ。

無人機によるモスクワ市内の被害 (2023年8月)

このほかにも、ことしに入ってから首都モスクワも含めてロシア国内では無人機による攻撃が相次いでいる。

これらの攻撃に「ロシア義勇軍」が関与しているのか質問すると、カプースチン氏は大笑いして、「いまは、まだ、そのようなことは話せないよ、ミスター・ワタナベ。勝利の時まで待とうじゃないか」とはぐらかした。

さらに、武器の入手先や資金源などについても質問をたたみかけた私に、カプースチン氏は「あなたはジャーナリストか、それとも日本のシュピオン(スパイ)か?」と言って、質問を遮った。彼の目は笑っていたが、私は注意深く質問しなければならないと気持ちを引き締めた。

ロシア人たちを目覚めさせる

カプースチン氏は、ロシア国内で相次ぐ無人機による攻撃への関与については明言を避けつつも、軍事侵攻に無関心を装うロシア人たちに当事者意識を抱かせるねらいがあると説明した。

「ロシア人たちは『私には原則的に関係のないことだ』と思っている。自分が戦争に反対せず、大きな決定が下された時に黙っていたからこそ、ドローンが飛んできたと気づくのだ」


「モスクワへの攻撃は、キーウへの攻撃の『合わせ鏡』みたいなものだ。ウクライナでもロシアでも、『民間人の犠牲者を出してもかまわない』などと言う権利は私にはないし、それが正しいとも思わない。しかし、ロシア人たちは、自分たちの選択の結果には常に責任が伴うことを理解しなければならない」

カプースチン氏は、無人機による攻撃の話をした時、突然、大きな両手を広げて、私の目の前でパンッとたたいた。攻撃の爆発音でロシア人を目覚めさせるという意味のジェスチャーだった。

ウクライナ軍との連携は?

気になるウクライナ軍との連携はどうなっているのか。カプースチン氏は全面的に協力しながら、ロシア領内での攻撃については自らが独自に判断して行っていることを打ち明けた。

「ロシア義勇軍は2つのレベルで活動している。1つはウクライナ領内での活動だ。この場合、もちろんウクライナ軍と全面的に協力している。ウクライナ軍は、私たちに 前線のある区間を提供したり、支援を求めたりする。兵たん、通信、武器、医薬品、あらゆるレベルの支援について、全面的に協力している。
それ以外にウクライナの国境を越えて活動する場合は、すべて自分たちで決定する。つまり、ロシア領内で、何を、どのように、いつ行うか、これを決めるのは我々の権利だ。もちろん、ウクライナの国境を越えてロシア領内に入る前には間違って攻撃されないよう、ウクライナ側の国境警備隊やこの地域にいる武装勢力に連絡する」

ロシアに越境した時の様子 背景はロシア国内の郵便局

カプースチン氏によると、ウクライナの国境に近いロシア領内は、相次ぐ砲撃などの影響で、すでに多くの住民が危険を感じて避難していて、誰が統治者かわからない「グレーゾーン」になっているという。
また、ロシア領内で住民と遭遇する機会はほとんどなく、出くわした住民に、「われわれはFSB(ロシア連邦保安庁)のメンバーだ」と身分をごまかしたこともあったと説明した。

欧米の支援は“負けさせず、勝たせず”

ロシア義勇軍も作戦に参加するウクライナ軍の反転攻勢はどうなっているのか。

カプースチン氏は、現状は困難を極めていると率直な見方を示した。

「ロシア軍の広範な地雷原やざんごう、統制の取れた防衛線を攻撃するのは難しい。

誰もが、この反転攻勢を、去年秋の反転攻勢と比較しているが、この比較は間違っている。あのとき、ウクライナ軍は、十分な準備ができていないロシア軍の陣地に攻め込んでいったが、いまは、敵はほぼ1年かけて、いたる所を掘って地雷を埋設した。状況は、まったく異なってしまった」

南部ザポリージャ州の集落ロボティネに入ったウクライナ側が撮影 (2023年8月)

そして、カプースチン氏は欧米諸国の軍事支援のあり方を批判した。

「欧米諸国からの兵器は“破滅的に”不足している。欧米諸国はウクライナが負けないための兵器は与えているが、勝つために必要なだけの兵器を与えていない。欧米諸国の支援が不明瞭で曖昧な状況になっていることが、反転攻勢の遅れにつながっている」


「ウクライナの兵士は、プロ意識と勇敢さの両方で際立っているし、十分なモチベーションを維持している。必要なのは欧米諸国の最新の兵器だ」

「自由ロシア軍」との関係

私は気になっていた質問をぶつけた。もう一つの義勇兵組織「自由ロシア軍」との関係についてだ。

「自由ロシア軍」のテレグラムより

カプースチン氏は、この「自由ロシア軍」について、「もともとウクライナで捕虜となったロシアの兵士や将校たちが結成したものだ。我々が登場したとき、多くの人々から混同された」と述べた。以前は共同作戦を実施したこともあったが、意図的に「自由ロシア軍」との違いをアピールすることに力を入れてきたという。その上で、手厳しい評価をした。

「きのうまで捕虜だった連中を信頼できるはずがない。

きのうはプーチンのために戦い、きょうはゼレンスキーのために戦うと言う。

きのうはロシアのためにと言い、きょうはウクライナのためにと言う」

一方で、「自由ロシア軍」には、無人機を操縦できる構成員も多く、迫撃砲などを備えた部隊も充実している上、自分たちとは違う役割を果たしていると強調した。

「政治的な見解の違いなどの理由から、自由ロシア軍はロシア義勇軍に入りたくないという人たちの受け皿になっている。我々は右翼的であり、保守的な価値観を重んじ、ロシア人を第一と考える民族主義的な見解を隠していない。結局のところ、『自由ロシア軍』は、我々よりも中道的だということだ」と解説した。

フーリガンから“民族主義者”へ

自らを「民族主義者」と呼んだカプースチン氏。同じ義勇兵組織の「自由ロシア軍」を「中道的」と評したということは、逆に、自らが「極右」とも呼ばれていることの裏返しでもあった。どのような思想的な背景があるのだろうか。

私がその疑問を問うと、カプースチン氏は、自らの生い立ちから語り始めた。

1984年にモスクワで生まれ、17歳のときに両親とともにドイツに渡ったカプースチン氏。モスクワ、キーウ、ドイツのケルンを行き来する生活だったという。母語であるロシア語のほか、英語とドイツ語を話す。ロシアでもドイツでもサッカーに打ち込み、「CSKAモスクワ」や「ケルン」の熱心なファンだった。そして、試合の際に暴徒となって騒ぐ「フーリガン」になったことも明らかにした。

「近代社会では、男が戦士として自分自身の力を証明する機会がない。自分が強いかどうか試すことができたのは、乱闘の中だけだった。だからフーリガンであることは、自分にとっては重要だったのだ」

政治に関心を持つようになったのは20歳になってからで、歴史にも関心を抱き始めたという。世界各地を旅行したことも、「ロシア第一主義」という民族主義的な主張を行う原点になったと述べた。

ロシア義勇軍の民族主義的な主張については「現代社会では受け入れられないことが数多くあるのは確かだ」と認めた上で、こう強調した。

「我々について、プーチンよりもたちが悪いということを言う人もいる。プーチンは、自分の民族主義的な見解を公然と語ることはないからだ。しかし、それは偽善だ。私は、常に自らの意見を公開し、恥じたり、隠したりしない」


「我々は『良いことをしている悪者』だと思ってもらえればいい。怖くて頭のおかしい過激派だと思わせておけばいいのだ。もっとも重要なのは、我々が何をしているかということだからだ。命を救う。ウクライナの兵士を助け、市民を守る。我々は侵略者と戦っているのだ」

何をもって「勝利」とするか

ウクライナの反転攻勢について、厳しい見方をするカプースチン氏に、ロシアとの戦いにおける「勝利」とは何か質問した。

これに対しては「ソビエト崩壊直後の1991年の国境線までロシア軍を撤退させることだ。つまり、ウクライナの領土からのロシア軍の完全撤退だ」と述べ、原理原則を譲らないという立場だった。

私が「ウクライナとロシアの双方にこれ以上の死傷者を出さないという観点から、朝鮮戦争のように『休戦』することはあり得るか」と質問すると、次のように答えた。

「そうなれば、実質的にはロシアの勝利だ。休戦なので、ウクライナもロシアも勝利しないが、ロシアは、新たに領土を獲得したことになる。つまり、ロシアは大きくなり、ウクライナは小さくなるということだからだ」

ただ、カプースチン氏は、仮に、ウクライナ国内にロシアによる占領地が残る形で「停戦」や「休戦」になった場合でも、「国際社会はウクライナの味方であることは変わらない」と述べ、「ウクライナが負けたとは単純には言えない」という見方も示した。

インタビューを開始してから、すでに1時間は経過しただろうか。私たちを取り囲むようにカプースチン氏を護衛する武装した覆面の義勇兵たちが、スマホをいじりだしていた。どんなに強面に見えても、そこは、現代の若者たちなのだった。

プリゴジン氏は「愛国者」

プリゴジン氏 (2023年6月)

インタビューでは、ロシアの民間軍事会社ワグネルの代表、プリゴジン氏についても質問していた。ただ、このインタビューの2週間後、プリゴジン氏は自家用ジェット機の墜落で死亡した。

墜落の翌日の8月24日、SNS上にカプースチン氏がワグネルの戦闘員たちに向けて、自分たちに合流するよう呼びかける動画が出回っていた。

ワグネル戦闘員に呼びかける(2023年8月24日公開)

カプースチン氏

「あなたたちの指揮者(プリゴジン氏)を殺害した者に仕えるのか、ウクライナ側について、処刑者に敵討ちするかだ。ウクライナで戦争犯罪を犯していないのであれば、我々に仲間として加わってほしい」

なぜ、このような呼びかけを行ったのか。インタビューで思い当たる節があった。

カプースチン氏は、プリゴジン氏について、ロシア人が相手の名前を尊敬を込めて呼ぶときに使う、名前と父称を組み合わせた丁寧な言い方をしていた。ウクライナと共闘するロシア義勇軍にとって、プリゴジン氏は敵であるはずなのだが。

「言うまでもなく、エフゲニー・ビクトロビッチ・プリゴジンは、ロシアの愛国者だ。彼はほかのロシア軍の将校たちとは違って、正直に前線に立っていた。戦闘部隊とともに、(激戦地の)バフムトやソレダールにもいたのだから。『彼は敵か?』と聞かれれば、間違いなく、私は『もちろんだ』と答える。『彼はロシアの愛国者か?』と聞かれれば、『そうだ』と答える。私にとって、そこに矛盾はない」

後日、私は、カプースチン氏に電話をかけてみた。

ワグネルの戦闘員たちが、実際に呼びかけに応じたのか気になったからだ。

「それは秘密に決まっているじゃないか。ただ、確実に言えることは、あの呼びかけの動画の中に映っているうちの1人は、元ワグネルのメンバーだということだ」

見果てぬ夢か、それとも…

ウクライナ側に立って戦うロシア義勇軍。カプースチン氏は、最終的には、ロシアのプーチン政権を倒し、体制転換を実現させ、「新しいロシア」を作りたいと考えていた。

「すべての隣国との和平を達成し、日本の北方領土、クリミアやウクライナ東部などは、すべて返還し、すべての国の人々と平和を築く必要がある。それにより制裁を撤廃してもらい、新たな経済重視の路線を選択する」

「ロシアはブリヤート人やヤクート人など、多くの民族が住む多民族国家だが、彼らが文化的、領土的、経済的にもロシアからの分離を望むなら、私は何も反対しない」


「自分の国の未来に影響を与え、より良い方向に変えたいと心から願っている。それこそが愛国心を示すことだからだ。だから、私は、間違いなく政治に挑戦するだろう」

クレムリンと赤の広場

私が「大統領を目指すのか」と質問すると、否定はしなかった。

「ロシアのリベラルなジャーナリストたちは、私が軍事政権のトップになりたがっていると批判している。でも、どんな国家になるのか、見てみようじゃないか。

何度も言うが、私は、この国の将来のために、最も効果的な役割を果たしたいのだ」

カプースチン氏の「野望」は、本当に実現するのだろうか。それとも、見果てぬ夢に終わるのだろうか。

なぜ祖国に銃を向けるのか

しかし、どんなに大義があっても、自らの祖国であるロシアに銃を向けることに疑問を感じないのだろうか。

私は最後に一番聞きたかった問いを投げかけた。カプースチン氏は、意外にも淡々と語った。

「私は、全く矛盾した感情を持っていない。祖国ロシアは狂ってしまったと思っている。私はロシア一の愛国者だったし、いまでもそうだ。そして、私は生涯、ロシアのナショナリストであり続ける」


「もし私が、新生ロシアで重要な政治家になれるのであれば、ウクライナと関係を強化するためにあらゆることをするだろう」

取材後記

インタビューを終えると、開始からすでに1時間半が経過していた。

冷房の効いた部屋の中だったにもかかわらず、気がつくと額は汗ばんでいた。

同僚のカメラマンがカプースチン氏の体からピンマイクを取り外すと、カプースチン氏は、私に日本語で「サムライ」という字を書いてほしいと言ってきた。

私は持っていたボールペンで何度もなぞって、毛筆風の「侍」という字を取材ノートに書き、ちぎって渡した。

カプースチン氏は、それを、ロシアとの戦闘で死んだ仲間に捧げるのだという。

そして、「いつか日本に行ってみたい。もちろん勝利したあとで」と笑顔を見せた。

このやり取りを見ていた護衛の義勇兵たちにも、私は「長時間ありがとう」と頭を下げて挨拶したが、みなピクリとも反応しなかった。彼らは、前線に立つ兵士に戻っていた。

カプースチン氏は、「侍」と書いた紙を大事そうに持って、護衛の彼らとともに私たちの前から去って行った。

ロシアの軍事侵攻が始まって以降、私にとって3回目のウクライナでの取材だった。

この戦争が、どのような形の結末を迎えるのか、それは、まだわからない。ただ、毎日、ウクライナ人とロシア人の死傷者が増え続ける事実があるだけだ。

ウクライナの「戦後」は見通せないが、ロシアの「戦後」も、さらに混迷の度合いを深めるのではないか。
そのとき、ロシア義勇軍のカプースチン氏は、どんな行動を取るのだろうか。これからも、取材を継続していくことにしたい。

カプースチン氏への取材動画はこちら。(8月31日に「国際報道2023」で放送した内容です)

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